プロフィール

ごじまるとは一体何者?

こんにちは、ごじまるです。

プロフィールをご覧いただきありがとうございます。

プロフィールまでご覧になられるあなたは、
相当コアなファンの方かと思います。
本当にありがとうございます。

簡単に自己紹介させていただきますと

現在はサービス業の仕事をしていて
その傍ら、𝕏を使ってのコンテンツの販売や
初心者でもできるライティングに関してのノウハウなどを発信しています。

主な実績は
 ⇓⇓⇓
・𝕏運用開始1週間でコンテンツ販売(0→1達成)
・𝕏運用開始1ヶ月、コンテンツ販売で5桁達成
・フォロワー数100人でコンテンツ販売70部達成

など

大手と比べるとしょぼく見えますが、
これからどんどん実績を増やしていく予定です。

こんな実績でも
SNSで稼いでるって聞くと

・もともとパソコンで何かするのが得意なんでしょ?
・そういうネットビジネスの勉強をしてたんでしょ?

と思う人もいるかもしれませんが

全くのネットビジネスとは無縁の人生を送ってきました。

そんな自分がどうして今SNSでビジネスしているのか?

それは自分の

生まれから
これまでの生き方
今後の生き方

が大きくかかわります。
少しその話をさせてください。

始まりは、

子どもの時から。

幼少期 — 一人っ子の長男、両親の離婚

自分は大阪のごく普通の家庭で長男として生まれました。兄弟姉妹はいません。一人っ子です。

そして親族の中でも男の子は自分だけでした。「待望の男の子」ということで周りから大変喜ばれたそうです。

家族の期待を背負って幼少期を過ごしました。

やっぱり
『男やからしっかりせい!』とか
『男やったらこれぐらいやれ!』とか

まぁけっこう厳しく言われることもありました。

そんな感じで
期待に家族の期待に応えれる男の子になろうと
幼少期は頑張っていました。

しかし、小学校低学年のとき、

突然両親が離婚。

当時の自分には理解できない出来事が急に降りかかってきました。

というか普段一緒に生活していて、両親の仲が悪かったていうのに全然気づいてなかったんですよね。

そんな自分が混乱している中、あれよあれよという間に父親が出ていき母との新しい生活が始まりました。

ホントあっという間。

それからは
『お母さんが誇れるような自慢の息子でいよう』とか
『お父さんがいなくても自分はちゃんとやっていけるってのを見せよう』

っていうことを思うようになって

周りの目をめちゃくちゃ気にするようになりました。

母に苦労をかけない良い息子になる。
外部の人達にも"良い子"に見られるよう意識して

自分を隠すように生きてきました。

思春期 — 自分を変えたくてバスケに打ち込む

中学校に進学し、バスケ部に入部。

理由は特になかったが、運動部に入ってた方が良いと思った。

それに背も高い方だったので、バスケが良いかなって感じで入部を決めた。

母にも許可をもらった。

ただ「バスケはお金がかかるからやるなら本気でやれ」と言われたので
結局中学、高校の6年間必死にバスケに打ち込んだ。

自分は周りと比べ、運動が得意ではなかったので
中学、高校、共によく顧問や先輩の標的になることが多く、

毎日怒られるのは当たり前、
練習から試合の時でもビンタや飛び蹴りがくるのが当たり前だった。

「マジで辛い。何でこんなことしてるんだ」ってよく思っていたけど
辞めようってところまではいかなかった。


顧問や先輩は厳しかったけど、
これ自分のために言ってくれてるんだなって感じていたし、
励ましてくれることもあった。

だから
辛い気持ちより期待に応えたいって気持ちの方が強かった。


その中で少しずつ心と体が鍛えられていくのを感じたし、
人との関わり方も最初は怖がっていた部分はあったが
少しずつマシにはなっていった。

そのまま高校でもバスケを続け、3年になり進学か就職の進路を決める時がきました。

本当はスポーツ関係の仕事に就きたくて、専門学校への進学を考えていました。

ですが、当時って
スポーツ関係の仕事=プロ選手、もしくはスポーツトレーナー、とかで
スポーツ関係の仕事ってそんなになかったんですよね。

もっと探せばいろいろあったと思うのですが、、、

母にできれば就職してほしいと言われたのもあって、
その時は進学を諦め就職を決意しました。

社会人 — ブラック労働と専門学校

そして就職した先は鍼灸整骨院。いわゆるマッサージの仕事でした。

理由は高3の担任の先生に「バスケやってたんなら整骨院で働いたら?」って言われたのがきっかけでした。

まぁ室内だし、車を長時間するとかもないしいいか。っていう感じであっさり決めてしまったんですよね。

それでいざ働いてみたら朝8時から夜22時までの長時間労働、
理不尽な叱責、休みは一応あるけど会社の行事で潰されることも多々あったりして

「社会ってこんなに苦しいものなのか」と絶望。

給料も手取り16万とか?
休みはほとんど家で寝ていたので、お金をあまり使うことがなく母親に渡していました。

しかし、
「このまま20年、30年ずっと働くの?」
「こんなんじゃ将来絶対生きていけないだろ」って

そんな思いが頭の中でグルグル回っていました。

「なんとかこの状況を変えないと」という強い思いから、ある行動にでました。

『専門学校に通い国家資格を取る』ということです。

専門学校に通い国家資格を取れば給料が上がるし、
あと、いつでも【開業】できるというのが自分にとって魅力的でした。

それに
雇われのままでも院長になれるので、
自分が院長になったらこの労働時間をどうにかしてやろうって気持ちから

1年、1日フルで働いて翌年、
専門学校に通いそこから3年間国家資格取得の為

必死に勉強しました。

学生になってからの生活もけっこうハードで
朝は仕事、昼に学校で勉強し、夕方にまた戻ってという生活を3年間。

国家試験2日前に追い込みすぎから39度の熱が出たりしましたが、
なんとか気合で乗り切り国家試験に合格しました。

人生の転機 — 転職と副業

専門学校を卒業し、資格を取ってからは
さらに仕事に打ち込みました。

院の売上管理などを任されるようになってから

「どうすればもっと院に人が来てくれるのか?」

「どうすれば患者さんに喜んでもらえるのか?」

「どうすればもっと売上が伸びるのか?」

そんなこと考えながら仕事を続けていました。

それでいろいろやって院の経営は順調で安定していたのですが

そうやって院の売上は上がっていても
自分の給料が上がることはあまりありませんでした。

3万ほどは手当や歩合でついてはいたのですが、
その分仕事の量も増えていたので

「この仕事の量でこの給料は少なくね?」ってなっていたんですね。

それに、自分が働いている時に
院長や役員、社長はマカオに旅行に行ったり。

役員会議という名目で、高い寿司屋や焼き肉などを食べに行き
それをFacebookなどに投稿しているのを見て

「自分、なんでこんなに働いているんだろう」って馬鹿馬鹿しくなって
その2ヶ月後に退職届を出し、約8年お世話になった職場を辞めることにしました。

それから
事務職で働きたいと思い
医療器具をリラクゼーションサロンなどに販売する会社に転職。

室内での仕事がメインでたまに営業に同行したりして
「これがサラリーマンってやつか」って思いながら仕事をしていました。

残業は普通にあったけど
お給料は前より少し高いしなーって
思いながら働いていました。

ですが、
物足りなさといいますか

「でもこのままでずっといいんかな..」
「何かこれだ!っていうものがある気がするんだよな」

ってぼんやりと考えた矢先

自分がこの情報発信の世界に飛び込むきっかけとなる出来事が起こります。

はい【コロナ】です。

コロナが流行りだしてからやっぱり生活は変わりました。

外に出られず家で仕事をする日々、
会社に出勤しなくていいので楽ではありましたが

やっぱ不安はありました。

「うちの会社大丈夫かな..」

「給料下がったりとかクビになったらどうしよう」

「自分がコロナにかかって働けなくなったらどうしよう」

とかいろいろ考えてた時

たまたま休憩中にぼんやり見ていたXで【副業】を知りました。

副業をする — わからないまま開始、撃沈する

自分が見た副業の投稿。

それは

ブログを使って商品を紹介するアフィリエイトや
自分のブログの記事に貼ってる広告をクリックしてもらって収益を得る
Googleアドセンスのことについて書いてある記事でした。

「1記事書くだけで月10万」
「自分は何もしなくても勝手にお金が入ってきます」
みたいなことが書いていて

「何か怪しいな..」って思いながらも
そこからいろいろ調べてしまったんですよね。

youtubeとか他にも似たようなものを調べてみて
「これだったら自分でもできそう」って謎の自信が湧いて
すぐにブログページを作成。

当時、自分はハマっているゲームがあったので
そのゲームの攻略記だったり、
それに関係する記事を仕事の合間に書いていました。

10記事ぐらい書いたところでアドセンスに申請。

無事審査が通って、ゲーム広告+ゲーム関係のアフィリエイトで
稼ぐようにしたのですが撃沈。

稼げた金額は合計で1000円とか?

「全然あかんやん」ってなってブログで稼ぐのをやめました。

それからコロナ期間は他の副業をやってみました。

物販をやったり、
Uberをやったり、
アンケートモニターみたいなのもやったりしたんですが

どれも上手くいかず....

「やっぱ普通に働く以外ないんかな...」って思った時

「ブログで稼ぐのは無理ゲー」

「物販のように在庫を抱えず、初期費用なしでできる𝕏×コンテンツ販売がおすすめ」

っていう投稿が目に入りました。

コンテンツ販売開始—そこで気づいたこと

ホントにこれがラストチャンスと思い
𝕏×コンテンツ販売に挑戦することを決意。

始める前に役に立ちそうな教材を買ったり、
オンラインサロンに入ったり、
コンサルも受けたりしました。

周りからは「もうそんな副業なんかやめとけ」って
反対されましたが、その反対を無視してやり続けました。

たぶん昔の自分だったら周りの意見を聞いてやめてたと思う。

幼少期は周りの目を気にして良い子として振る舞い

進路もスポーツ関係の仕事に就きたいのを諦め、

就職先も担任からの提案に二つ返事で決め

働いてからも周りから言われた通りに仕事をこなす日々

決して全部が悪いわけではなかったし、

最終的に決めたのは自分なので責任は自分にあるわけです。

それに、「こんなにやっておいて今さら引き下がれるか」ってなっていました。

だって稼ぐために副業始めたのに
始めてからいろんなことに手を出し過ぎて

気がついたら自分のお金が手元からどんどんなくなっていたんですよね。

ブログ開設のために新しいパソコン買ったり、サーバー契約したり
物販の仕入れでいろんなモノ買ったり
コンサルも30万とかするし

もうこれで稼げないとヤバいやろって
そんな気持ちだったわけです。

それから必死こいて
コンサルで教えてもらいながら

コンテンツをつくって、𝕏の運用もやって
ようやく0→1達成。

Brainでコンテンツを最初に出したのですが。

Brainから『記事が購入されました』ってメールがきた時は
ガッツポーズしたし、普通に涙が出てきました。

最初は100円のコンテンツだったのですが、
1日で35部ほど売れて

その3週間後にまたコンテンツを出して70部達成。

70部売った時は
ずっとBrainからの購入通知を見ながら
頬が緩みきっていたと思います。

「何度も見返して発信に活かそうと思います」

「有益な情報ありがとうございます!」

「これから副業に挑戦する人におすすめの教材ですね!」
などなど

嬉しい感想なんかもいただいて
続けてよかったなって

副業始めたての頃、
全く稼げなくて『やっぱ自分じゃ無理なんかな...』って

投げ出しそうになったこともあったけど

少し報われた気がしました。

それで、気づいたことが
人から「ありがとう」とかお礼を言われるのが
すごく活動の原動力になるって

今さらながら思ったんですね。

鍼灸師として働いていた時もそうだったんですが、
「ありがとう」とか「良くなりました」って言われると

またそれが原動力になって

「次はこうしたらもっと良くできるかな」とか
「こういうサービス提供したら喜んでもらえるかな」とか

いろいろ行動に移せるようになってくる。

コンテンツ販売を通じて
その当時の気持ちが蘇ってきました。

自分の思い—信念

0→1を達成して以降
自分はこう考えるようになりました。

『自分と同じように会社の収入だけじゃ不安だと考えている人は絶対いるはず』

『少しでも、働きながら副業に挑戦してる人を助けたい』

『しっかり稼いで好きなことが思いっきりできるようになってほしい』

コンテンツ販売や日々の発信で人の役に立てるを実感し、
今度は自分が、同じように不安をもっている人をサポートしたい

そう考えるようになりました。

自分の発信を通じて
「ごじまるさんのおかげで世界が変わりました!」

そう言っていただくのが今の自分の目標です。

今これを読んでくださっているあなたはどうですか?
今の生活に満足していますか?

この長いですが
僕のプロフィールを読んで

少しでも
情報発信に興味をもってくれたり
あなたの不満や不安から抜け出すための
キッカケになってくれれば嬉しいです。

これからも
皆さんの役に立てるような
発信やコンテンツを出していきますので

ぜひ見てもらえたらと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!
今後ともよろしくお願いいたします。

ごじまる